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Artists: Ko Nakajima

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ko nakajima

Nakajima Ko began creating experimental animation in the 1960s, representative work being Seizoki (1964), produced by painting on the film during his solo exhibition at the Sogetsu Art Center, a space for avant-garde art in 1960s Tokyo. Intersections between film and video, as well as his practice of documenting "life," are explored in his Biological Life (1971-), which he made by manipulating film footage, copying it onto video and using a video synthesizer. In 1971, Nakajima established Video Earth Tokyo, a video-art collective formed by people from a wide variety of professions. With Video Earth Tokyo, Nakajima documented a performance piece using nascent technology, the portable video recorder. In Shokutaku ressha (video picnic) (1975), Nakajima and others cooked and ate a meal on the platform of a subway station. Another work investigating the technical materiality of video and photography, What is Photography? (1976), is two-channel piece with video documentation of thirty naked men with cameras shooting a naked woman on a table on one monitor, while the other monitor presents the still photographs taken by the men. and producing video art in 1971. That year he founded the collective Video Earth Tokyo and began broadcasting works on cable television, as well as participating in exhibitions and CG (computer graphics) conferences internationally. In the 1980s, Nakajima produced the personal computer Aniputer, created with the research department of the Japan Victor Company (JVC). The device allows the user to manipulate video and images on the computer.


WORKS

1:穴ポコ|1963年 / [Anapoko]

多摩美卒業後、草月アニメーションフェスティバルに出品しようと思い制作したアニメーション。お金がないので、35ミリフィルムに直接描く「カキメーション」を発案した。この頃は、たまたまアニメーションを制作しただけで、自分がアニメーション作家であるという意識はなかった。鈴木伸一と知り合いだったのでスタジオゼロに遊びに行って、その時に相原信洋と出会った。

 

2:精造機|1964年 / Seizoki

「カキメーション」の手法によるアニメーション。この作品は3マルチ・スクリーンでも上映可能。

 

3:水平線|1971年 / Horizon

海岸にて、ヌードモデルを撮影した作品。

 

4:生物学的サイクル|1971年~ / Biological Cycle

作家の家族や鳥をスタジオで撮影した16mmフィルムを最初のNo.1として、ナンバーが進むごとに、エフェクトを加算してゆく作品。途中からメディアがビデオに変わり、「アニメーカー」によるデジタルエフェクトも導入されてゆく。

 

5:マイ・ライフ|1974年~ / My Life

1967年から撮影を開始していたが、最初に作品としてまとめられたのは1974年。その時、バーバラ・ロンドンが来日することもあり、作品として編集することにした。1974年は母親が死に、子どもが生まれ、世代が入れ替わった年でもあった。基本的に左モニター(母親と自分)と右モニター(子どもと自分)の、2つのモニターによるインスタレーション展示。その後、孫が登場する『マイ・ライフ』の続編を作っており、今後は左モニター(子どもと自分)と右モニター(孫)という形でスライドして、「母親と自分」のパートはフェードアウトしてゆく予定。まだ50年しか経っておらず、完成は100年後になるだろう。

 

6:橋の下から|1974年 / Under a Bridge

ビデオアース東京としての作品。橋の下に住んでいたホームレスへのインタビュー。

 

7:墓地と乞食|1975年 / [A graveyard and beggar]

ビデオアース東京としての作品。青山墓地に住んでいたホームレスへのインタビュー。マイケル・ゴールドバークが撮影。

 

8:新幹線研究食|1975年 / Shinkansen Researching Foods

ビデオアース東京としての作品。新幹線の車内で食卓を広げて食事をする。

 

9:写真とは何か?|1976年 / What is Photography?

見ると見られるが相対化される作品。2つのモニターによるインスタレーション展示。片方のモニターには、スタジオ内で裸のカメラマンが、ヌードモデルを写真撮影している映像を映す。もう片方のモニターには、その時撮影された写真を静止画像で映す。

 

10:タントラ|1980年 / Tantra

大阪大学で制作されたコンピュータグラフィック作品。

 

11:富士山|1984年 / Mont Fuji

斎藤庫山という人物が富士山の写真を何十年も撮っていて、それを持ってきた。それを中島さんが面白いと思って、スポーツ新聞に売り込んだ。すると日活に企画を持ち込むことになり、映像作品として制作することになった。当時は環境ビデオが流行していた。莫大な予算をかけて、イマジカのシステムを使用してエフェクト加工を行った。

 

:ドルメン|1987年 / Dolmen

フランスのブルターニュで制作した、ストーンヘンジを題材とした作品。CGのパートは、現地のCGアーティストを起用した。スポンサーはフランス政府。

 

:ランゲトート|1988年 / Rangitoto

『ドルメン』の連作である、ニュージランドで制作した作品。スポンサーは現地のテレビ局。

 

:塩のエスプリ|1990年 / Esprits de Sel

フランスのモンテリエの塩田を題材とした作品。CGのパートもある幻想的な表現。

 

:ヒンズースピリット|2001年 / Hindu Spirit

インドで撮影した作品で、いまも制作中。

 

:死者の舞|2014年~ / Dance of the Dead

福島の被災地でパフォーマーを撮影した作品で、いまも制作中。

 

 

17:車椅子富士に立つ|1978年夏 / [Wheelchair Stands at Fuji]

足の不自由な障害者が車椅子を使って富士山を登るというプロジェクトを、ビデオアース東京として撮影。車椅子(かたつむり二世号)の製作段階からはじまり、登頂するまでを、同行しながら撮影。作品としての発表はしていない。

18:第4回東京展(東京都美術館)における「ソ連亡命作家展」|1978年

亡命作家の展覧会の記録とインタビュー。その後、依頼されてテレビ神奈川の昼のワイドショー(1978年9月26日)にも映像素材を提供した。同時に、東京都美術館の入り口で、ビデオアース東京の単発のデモンストレーションとして、20台のテレビモニターによるインスタレーションやパフォーマンスも行った。当時、ビデオアース東京に30名ほどのメンバーがいた。ほとんどが写真学校の学生。

19:アッカーマン来日ドキュメント / [Ackerman Document]

 

20:絵本作家 田島征三と山羊のしずか / [Picture Book Author Tashima Seizo and Shizuka the Goat]

 

21:中国訪問の旅 JAA旅行の記録|1979~1981年 / [China Tour Document of JAA Trip]

日本アニメーション協会が毎年開催していた中国団体ツアーの記録。中島さん自身も協会会員だった。手塚治虫、相原信洋もツアーに参加。1979年の記録は紛失。あえて編集をせず、未編集のままにしてある。

 

22:野坂昭如参議院選挙の記録|1974年 / [Document of Nosaka Akira Upper House Election]

依頼ではなく個人の興味から撮影を開始した(野坂本人は撮影を了承)。紀伊国屋での小沢昭一による応援イベントなど。16mmフィルムとビデオの、2種類の映像メディアで撮影。16mmは同録ではなく、後からオプチカル方式で非同期的にサウンドを加えた。フィルムとビデオを併用したのは、当時はまだビデオの信頼性が低かったため。依頼があれば貸し出していただけなので、あまり知られていない。

 

24:竹の子族|1980~1981年 / [Takenoko-zoku]

原宿でコサック風のダンスを踊っていた「竹の子族」を、数年間かけて撮影。トロントのビデオカルチャー・インターナショナル・フェスティバルで上映したところ、これを観たローリー・アンダーソンが面白がって、ミュージックビデオの制作を依頼された。帰国してから、サウンドを加えてミュージックビデオを完成させた。マイケル・ゴールドバーグが撮影協力。

 

25:駱駝 [Rakuda]

舞踏の駱駝館の公演を、控室での準備段階から撮影した作品。駱駝館に何度も貸し出している。この他にも宇野萬という舞踏家をずっと撮影していた。

 

26:マイ・フレンド|1974年前後 / [My Friend]

中島さんが結婚前に付き合っていた女性「チカちゃん」をテーマとした作品。奥さんとの夫婦関係をテーマとしたのが『マイ・ライフ』の系統であり、チカちゃんとの友人関係をテーマとしたのが『マイ・フレンド』の系統となる。チカちゃんは、その後ペーター佐藤と結婚。ペーター佐藤が横浜刑務所に収監された時に、刑務所に面会に行って撮影したシーンもある(刑務官はビデオ機材が何なのか分からなかったので、撮影を行うことができた)。

 

27:食事電車 / [Train Meal]

 

28:Have a Seat|1981年 / Have a Seat

障害者バスケットボールの試合を撮影。日本での決勝戦からテキサス遠征に至るまでを追う。海外撮影は、競輪振興会から資金提供を受けた。プロデューサーと中島さんの2人で渡米。障害者バスケットボールの団体は、「車椅子富士に立つ」の団体とも繋がりあった。

 

29:イッセイ・ミヤケ|1975年 / [Issei Miyake]

 

30:ビデオアース東京初期:伊豆下田CATV・北海道池田町CATV|1970年代前半

[Early Work of Video Earth: Izu Shimota CATV / Hokkaido Ikeda CATV]

ビデオアース東京に、下田でケーブルテレビをやりたいという人物(イトウケイジ)が入ってきたので、自分たちで同軸ケーブルを担いで架線し、現地に発信スタジオを構えて、20~30軒の家庭に映像をライブ配信していた。映像の内容は、地域に根ざしたゲリラテレビジョン的なものや、時計を映し続ける時報的なものなど。地域のためのプロジェクトなので、実験的な個人作品は流さないようにした。この事業は、1978年にビデオアースK2として独立し、今も活動している(下田有線テレビ放送株式会社?)。その後、池田町でもケーブルテレビ事業が行われていることを知って、そちらにも取材に行った。

 

31:ローリング・ココナッツ / [Rolling Coconut]

捕鯨反対のコンサートの映像。クジラの解体映像から始まる。

 

32:黒姫山 絵本学校|1970年代 [Kurohime Yama Picture Book School]

絵本学校での中島さんの講演の映像。

 

33:つげ義春インタビュー / [Tsuge Yoshiharu Interview]

つげ義春のインタビュー映像。撮影は中島さん。インタビュアーは田島征三。

 

34:オノ・ヨーコ|1974年 / [Ono Yoko]

福島でのワンステップミュージックフェスティバルの映像。撮影は中島さんによるもの。中島さんもプロペラエンジンのインスタレーションを設置した。

 

35:その他 / [Others]

 

36:ビクター第3回東京ビデオフェスティバル / [Victor Third Tokyo Video Festival]

企業が主体となっている東京ビデオフェスティバルに、中島さんは批判的な立場をとっていたが、それを記録しておこうと考えた。そもそも、ビクターに友人がいたのでビデオフェスティバルの企画を出したが、そのアイデアが盗られて、後に東京ビデオフェスティバルになったという経緯があった。そもそも自分が出したアイデアは、もっとケーブルテレビ寄りのフェスティバルだった。

 

37:ちょっと木の下で|1975年頃 / [Under a Tree]

ビデオアース東京メンバーの学生たちが授業のなかで制作した16mm作品。女装した男が主人公の、当時のアンダーグラウンド映画的な内容。

 

38:ZKM

ZKMに招聘された時の記録。ZKMでは、他のアーティストと共に蝋燭を題材としたコラボレーション作品を制作していたが、制作に時間がかかるため、中島さんは完成を見ずに途中帰国した。完成した作品は見ていない。

 

39:名古屋デザイン博 / [Nagoya Design Expo]

山口勝弘が企画したフェスティバルに、ビデオインスタレーションを出品した際の記録。エド・エムシュウィラーの作品も映っている。

 

40:アニメーカー|1982年頃 / [Animaker]

中島さんが考案してソニーが製品化した、コマ撮り撮影とエフェクト加工を自動的に行える機材「アニメーカー」のデモ映像。マイケル・ゴールドバーグが制作。当時の森田社長は、中島さんのようなアーティストにお金を出していた。製品化されて、100台くらい売れた。その後、コマ撮りの機能は他のカメラにも導入されるようになった。

 

41:タケダ製薬

 

42:マンダラ

 

43:山下菊二ドキュメント

 

44:コンピレーション

 

CCJ Projects

artist talk (at community archiving workshop)


screening: 2015-2016

  Image: Still from Ko Nakajima,  What is Photography? , 1976. Courtesy the artist

Image: Still from Ko Nakajima, What is Photography?, 1976. Courtesy the artist

VIDEO AND BEFORE: FIVE JAPANESE PIONEERS
Thursday, March 3, 2016 at International House Philadelphia
Friday, September 11, 2015 at Grey Art Gallery at New York University

Video and Before  explores various contexts in which artists began using video, bringing art historical, technical, social, and biographical backgrounds forward against each artist’s discovery and experimentation of the new medium. The featured five artists were the first to use video as an artistic medium in Japan. These artists came to video from different areas: animation, experimental film, performance, and sculpture. Presented chronologically within each artist’s group of works, the selections demonstrate their wide-ranging interests in filmic expression, technology, and themes. Works are sourced from either the artist or researchers working on preservation or digitization projects and are building archival records of the artists' oeuvres. 

Ko Nakajima [Courtesy artist & Taki Kentaro, VIDEOART CENTER Tokyo]
Seizoki, 1964, 16mm, 4:10 min
Biological Life Part 1, 1971, film processed in video, 6 min / 3 min excerpt
Shokutaku ressha (Video picnic), 1975, video, 7:46min / 3:45 min excerpt
What is Photography?, 1976, video, 20 min / 4:45 min excerpt